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稽古の目的

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道を体得し、この宇宙、天地の実相と現象をありのままに受け止め、人間本来のあるべき姿ののままに自然に生きる。

空手道の稽古を始めるきっかけは人それぞれで、人にすすめられて入門する人、 見ていて面白そうそうだからと始めてみる人、自分から進んで始める人等色々あるでしょう。自ら入る人もその目的は、健康の為や体力づくりや強くなりたい為、又、精神面に興味を持 って入門する人等色々とあるでしょう。

 

きっかけが何であれ、その当初の目的が何であれ、稽古をしてくれることはありがたいことで、広くこの道が稽古されることを心から念願するものです。 

 

この道の確立までに永い人間の歴史の中で貢献を積み重ねてこられた幾多の先人たち、特に義珍先生、江上先生、井上先生は、皆この道が広く伝わり、ますます進歩していくことを願っておられることと確信しています。

 とにかく稽古してくれれば、目的はこの稽古の中にあり、難しく考えることはありません。 どうか稽古を続けて下さい。 しかし、この江上空手道を何の為に確立したのかという江上空手道そのものの持っている最終的な目的は、明確です。 それは、一言であらわすならば『道』を体得するということ です。もう少し言葉を使って説明すると『道』を体得するとは、この宇宙、天地の実相と現象をありのままに受け止め、人間本来のあるべき姿のままに自然に生きるようになること です。このことは、あたりまえのことをあたりまえに言ったまでにすぎないことです。

 なぜ人はあたりまえのことが難しくて、あたりまえになる為に稽古をしなければならないのでしょうか。
 
 それは、人は皆最初は自然のままに生まれたにもかかわらず育っていく中で、たくさんの間違った思い込みがあったり、一度も出会ったことがない為に知らないことがいっぱいあったりするからです。
 
 江上空手道は、その間違いを一つずつ捨てていってあたりまえに戻る道筋でもあります。 
 
 この江上空手道は、空手術を稽古することを通して『道』に至る道筋を明確にしたものです。
 
空手術は闘争の技術であり、まさにお互いの命を奪い合う闘いにどう臨み、どう対処するのかという技術を徹底して追求したものです。しかも、空手術は沖縄で発達した武術として武器を持てないという環境の中で素手でまさに徒手空拳で全身全霊で闘う武術です。又、その場にあって利用できるものは全て武器として利用するという面も同時に持ち合わせた全く制限のない、融通無礙な武術であります。
 
全く制限のない命をかけた闘いにどう対処すればよいのかということは、この人生をどう生きればよいのか、ということと根源は同一のものと言えます。
 
 この問題に根源の答えを得た人は、日常に同じ心で闘いに臨むことができます。『平常心是道(へいじょうしんこれどう)』という言葉がありますが、そんな人は『道』を悟った人と言えるでしょう。
言葉で表すと簡単なことですが、一足飛びにそんな境地達することはとてもできることではありません。ですからその『道』に至る道筋を『禅』に求める人には、それぞれの師につ いて段階を追って修業を積み重ねていく禅として仕組みが確立されているように『江上空手道』にも『道』に至る稽古の諸段階が確立されているのです。 

  この江上空手道における稽古の諸段階とは、 まず第一段階として空手術の技を一つ一つ正確に
  できるよう稽古することです。 

  第二段階は、その技を組み手の中で相手の状態に合わせて、どんな状態にも変化して自由に使える
  ようになることです。 

  第三段階からは自分の心の状態が稽古の対象となります。その心の変化のままに体を動かす稽古
  でもあります。まず第三段階では、相手の心にあわせることを第一に、自分を捨てることを稽古します。 

  第四段階では、自他一体の境地、無我、無心、天地と一体といった状態を求めて稽古をします。 
 
この四つの段階は、道場における稽古を大変大まかに四段階で説明したものですから、それぞれの段階が又、幾つかの段階でできていると思って下さい。 この段階を追って指導者に従って、じっくり稽古をして下さい。必ず『道』に到達することを確信いたします。
 当然のことですが道場の外での生活の中でも『道』の従った生き方を常に求めていく必要があります。 これを一致させていくことが『道』の体得につながってまいります。 
 
 江上空手道は、人それぞれが持っている道場の外の人生における『目的』の妨げになるものは一切含んでいません。必ず両立できますので、焦らず急がずじっくりと稽古を続け て下さい。
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